赤城智美さんコラム日々の生活と、食物アレルギーについて

36話し合うことの大切さ

公開日:2020年8月31日

少し前のことですが、小学校3年生の子の保護者から悩みが寄せられました。その子の学校ではアレルギー対応の給食を出しており、毎年年度初めには、保護者、教頭、養護教諭、担任、栄養士などが集まって、課題の洗い出しや注意点の確認をしてくれるため、学校生活を問題なく過ごすことができていたのだそうです。
ところがある時から、学校に行く時間になると、子どもがため息をついて学校を休みたいと言うようになりました。原因は分からないものの、その保護者は子どもを学校に送ってから仕事に行くようになり、そのおかげで何とかその子は欠席せずに日々を過ごしているとのことでした。

その子どもの断片的なつぶやきや、担任が保護者に話したことをつなぎ合わせると、どうやら給食に問題がありそうだということが分かったそうです。その子の学校ではアレルギー用のスープやおかずはいつも少し多めに作っており、おかわりもできるためその子はとても喜んでいました。時々お腹いっぱいで余ってしまうこともあったため、ある日給食当番が「誰かおかわりしませんか」とクラス全体に声をかけたところ、担任が「それはアレルギー用だから食べないで!」と大きな声を出したそうです。その後から「あいつは特別扱い」という空気ができてしまい「あれは特別においしくないんだ」「あれを食べると病気がうつるらしい」と冗談半分で話題がエスカレートするようになった様子。その状態をその子本人ではどうすることもできず、ただ我慢していたため、朝、お母さんのそばでため息をついてSOSを発信したようでした。

相談を聞いた立場から考えてみると、これは担任がクラス全員の前で食物アレルギーのことを丁寧に説明し、みんなにもその子にも「言い方を間違えた」と謝るべきですし、アレルギー用のおかずの残りも「食べたい人は誰でも食べてよい」とみんなに説明するべきだと感じました。そのためには保護者と担任と、できればその子も含めてじっくり話し合う必要があると思い、電話をくれた保護者にもその旨をお伝えしました。

この悩みを聞いたとき、私はまるでデジャビュのように、我が子も全く同じ経験をしたことを思い出しました。我が子のSOSは頻繁に喘息発作を起こしていることだったのですが、私はその時、全く気付くことができませんでした。我が子が「アレルギー、アレルギー」とクラスの子に囃し立てられていた経緯に気が付いた当時の担任が、保護者である私に謝ったことで初めて、私は我が子の置かれた状況に気が付いたのでした。

相談のケースも、我が子のケースも、これは「いじめ」だったかもしれないし「からかっただけ」かもしれません。ただ、もし側にいる大人が子どもたちにできる教育的な働きかけがあるとすれば、アレルギー用のおいしいご飯をクラスの子全員分作り、みんなで食べて「ね!アレルギー用のご飯もみんなのご飯もどっちもおいしいでしょう? 」と、体験できる時間を作ることなのではないかと思います。
「どっちもおいしいのにどうして『アレルギー用のご飯』を作らなければいけないの?」 そういう問いかけを子どもたちにすることが、食物アレルギーがある子にも、食物アレルギーがない子にも、必要なのではないかと思います。

残念ながら相談事例の顛末は、担任からの「『食物アレルギーの子ども向けのご飯のおかわりは作らないこと』で解決しました」という報告で幕を閉じました。
当時ため息をついていたお子さんは今小学6年生。その時の気持ちを聞いてみると「世の中そんなもんですよ」と、にこにこ顔で答えられてしまいました。6年生の彼がそんな風に言えたのは、3年生の当時、担任と保護者の話し合いに同席して、担任は理解してくれなかったけれど、お母さんの考えていることがよく分かったからでした。
話し合うことの大切さを改めて感じた出来事でした。