日々の生活と、食物アレルギーについて
35「くじけない心」を育てる
公開日:2020年6月26日
子どものアレルゲンは小麦、乳製品、卵でしたが、10歳の頃には、小麦はほぼ問題なく食べられるようになり、中学生の頃には、乳製品の加工品を問題なく食べられるようになりました。ただ、ピザやグラタンなど、一度にたくさん乳製品を食べると腹痛を起こすこともあったので、家庭での食事は和食を心がけ、乳成分は多食にならないようにしていました。
卵はしっかり加熱したものを少量食べる分には問題ありませんでしたし、加工品を食べることもできました。ただ、調理中の卵の臭いで吐き気がしたり、一人前の量を食べると体調が悪くなったりしていたため、よく考えて食べる必要がありました。
子どもが幼児期や小学生の頃は、アレルゲンを食べてしまうと呼吸困難を起こしたので、外食はできるだけ避けていました。やむを得ず外食するときはお店に事情を説明して、塩と胡椒で味付けしたステーキや、塩とレモンで味付けしたグリーンサラダ、アナゴ寿司など、特定のメニューを作ってもらっていました。
子どもが中学生になると、親と出かけることを嫌がるようになりましたが、イタリアンレストランやお寿司屋さん、喫茶店など、意識して子どもと外食をして、どんなメニューがあり、どんな材料が使われているのか、子どもが知る機会を作りました。
ある日、高校生になった子どもが友達とそば屋に行ったのに、お腹を空かせて帰ってきたことがありました。理由を聞くと、「メニューの『おかめ』『月見』『温玉』などの意味が分からなかったため、あてずっぽうで注文したら半熟卵の乗ったうどんが出てきてしまった。友達の前で体調が悪くなるのは嫌だったので、それには手を付けなかった。」ということでした。
私は、そば屋は和食のお店なので子どもが注文に困ることはないだろうと思い、外食の練習場所には選んでいませんでした。そば屋のメニューが個性的な言葉で表現されていることは知っていましたが、私自身も20代後半で卵がアレルゲンだと分かったので、そば屋ではざるそばを食べるくらいでメニューをじっくり見たこともなく、それらがどんなものなのかよく分かっていませんでした。
高校生の子どもはスマートフォンを持っていなかったので、お店の人に質問したり、困っていることを伝えたりするしか対処の方法はありませんでした。私がどうしてお店の人に質問しなかったのかを子どもに尋ねると「学校で食物アレルギーのことを何度も説明してきたけれど毎回嫌な思いをしたので、責任のないお店が親切にしてくれるとは思えなかった。友達と楽しく過ごしたかったから質問しなかったし、困っても黙っていた。」というのです。
親としては「子どもはアレルギーのことをもう卒業したのだ」と考え、心配しすぎないようにしようと思った矢先のできごとでした。「人を思いやり、柔軟で、困難なことがあってもくじけず、あきらめない心を持つ」のは物語に出てくるヒーローの姿ですが、「食物アレルギーがあっても自分で自分を守り、友達と楽しく過ごすためにも、子どもの『くじけない心』を育てなければいけないのだ」とその時私は感じました。