赤城智美さんコラム日々の生活と、食物アレルギーについて

42古い台所用品の種明かし

公開日:2021年9月3日

「母ちゃんは何でも取っておくねえ」と、離れて暮らす息子が久しぶりに帰ってきて笑っています。テレワークが続く中、棚にしまってあったものを少しずつ断捨離しているので、我が家のデッキにある机の上にはさまざまな台所用品が出ていました。「製氷皿なんかどうしてこんなにあるの?」と聞かれて、私は「そうか、覚えているわけがないよね」と、しみじみとした気持ちになりました。

息子は保育園の年長さんから小学校の低学年の頃、加工食品や糖衣錠の薬に使われている乳糖に反応して息が苦しくなってしまうことがありました。市販の出汁にも乳糖が使われていることが多かったため、いろいろ探してみたのですが、どれも息子の身体には合いませんでした。
その対策としてアゴ(トビウオ)や煮干し、昆布、しいたけなどさまざまな出汁を作り、製氷皿に入れて凍らせたものをいろいろ組み合わせて使っていたので、当時は製氷皿が何種類も必要だったのです。

その頃の食卓は、出汁と塩が中心で醤油と酒、みりんなどが時々登場するような料理がほとんどだったので、風味に変化をつけるためにパセリ、ローリエ、ローズマリー、ニンニク、ネギ、茗荷、生姜、ピーマン、ターメリック、パプリカなど、香りの強い材料も使っていました。
息子が小さいうちからこういうものを使っていたことが、良かったのか悪かったのか、いまだによく分かりません。ただ、幸いにも我が子の場合は、食物アレルギーが寛解してからは、食いしん坊で何でも食べるようになったことは確かです。

机の上には巻き簾や竹串も出ていたため、息子に「これを使った料理はどんなもの?」と聞かれました。そう言われて気が付いたのですが、これらで海苔巻きや焼き鳥は作ったことがありませんでした。
当時は竹輪やかまぼこ、さつま揚げのような練り製品に卵が含まれていても、表示されていないこともあった時代でした。ソーセージも、乳成分や小麦が使われたものが売られていても、それを含まない製品とは見分けがつかなかったので、子どもの安全を第一に考えて、我が家では竹輪やソーセージを手作りしていました。巻き簾や竹串はそういうものを手作りするときの大事な道具だったのです。

「そんなことをしなくても食物アレルギーの人が食品を選ぶことができる時代が来て、本当によかったねえ」。苦労知らずの息子と、しみじみとそんな話をしました。