赤城智美さんコラム日々の生活と、食物アレルギーについて

43ひとつのお鍋で、家族をひとつに。

公開日:2022年1月28日

私が、食物アレルギーの子育ての日々をこのコラムで初めて書かせていただいたのは2017年のことでした。それからもう4年も経ってしまったのだと、改めて驚いています。

このコラムを書くまでは、講演などで「我が子の食物アレルギーと子育て」についてお話しすることはほとんどなく、どこへ行っても同じエピソードを1つか2つ触れるだけにとどめていました。
食物アレルギーの人と出会ったことのない人に食物アレルギーのことを知ってもらうためには、子どもたちがどんな困難に出会っているか、具体的な出来事をお伝えすることが一番いいと思うのですが、私にはそれはとても難しいことでした。
なぜ難しいかというと、当時のことを人に説明しようとすると、何年たっても涙が出そうになってしまうからです。我が子はもう大人になりました。それでも子どもが小さかった時の食べ物をめぐる出来事は、ひとつひとつが苦しかったり切なかったりして、心をぎゅっとつかまれてしまいます。
細かい出来事が頭にこびりついて離れないため、まるで昨日のことのように思い出すのです。

食べることは1日3回。学童クラブや友達の家に遊びに行っておやつを食べることなどを考えると、子どもは1日に4回か5回は「食べる」という危険に遭遇するのです。
当時のエピソードを思い出して言葉を書き留めていると、あの時の我が子の顔が目に浮かび、その時子どもが経験したであろう情けない気持ちを追体験します。「他に何かできることはなかったのか」と自問自答し、めそめそしながら原稿を書くこともありました。
それでもいろいろなことをたくさん思い出すうちに、独りぼっちの寂しい子育てではなく、「親子で大事な時間を乗り越えてきた子育てだったのだ」と気がつくようになりました。

子育ては楽しくてしんどいものですが、食物アレルギーがある子の子育ては、社会と戦う子育てでもあります。人と違うこと、みんなと同じものが食べられないこと、そのつらさを周りの人が理解できないこと、理解してくれないこと、「食べられないものがあることはわがままだ」といった偏見。それらと戦い、理解を得るためにたくさんの説明をして、たくさんの確認をすることになるため、そうした日々に家族はへとへとになります。
そんな時に、せめて家族や親しい人と囲む食卓は、みんなで一緒に食べられる温かいものであってほしい。「ひとつのお鍋で、家族をひとつに。」という大きなテーマを見つめて、皆さまには長きにわたりお付き合いいただきました。子育てコラムのつもりでしたが、子どもに育てられた記憶をお伝えしたようにも思います。
たくさんの貴重な時間をいただき、ありがとうございました。