家族のいる私たちは知っている。あれこれ巡って疲れた時、結局私たちが求めホッとたどり着く料理は、どうしていつもあの懐かしい食卓の味になるのか。それは、食べるという行為の本質が、「何を食べるか」以上に、「誰と食べるか」にあるからだ。
家族の味は、甘くて辛くて酸っぱくて、ときどき苦い。教育・家族問題から時事、カルチャーまで、時に鋭く時に優しい切り口で人気のコラムニスト・河崎環が論じる、今日の家族の味はどんな味?
2010年代、日本の夫婦のライフスタイルには大きな転換が訪れた。育休が浸透し、「イクメン」なんて言葉も出現し、働き方改革で就業時間や就業スタイルの見直しが進んだ。男性が家庭の中で過ごせる時間が増え、自分や家族のために家事育児をするのは当たり前で、そういう男はカッコいいという風潮が(妻たちの目からすると「やっと!」)現れたのだ。
CMで描かれる家族像にも大きな変化が見られた。新製品の洗剤で息子の部活のユニフォームを洗って、その綺麗さに満足の笑みを浮かべるのはお父さん。簡単便利な調味料を使って、家族が大喜びする絶品の一皿を振る舞うのはお兄ちゃん。保育園から子どもと仲良く帰宅して、冷蔵庫の中の買い置きした食材を取り出し、キッチンに並んで手際よく夕食を作り始めるのは、パパとママ、二人ともだ。
日常の風景を切り取るCMで、そこに描かれる家族や夫婦の姿に明らかな変化、というか進化が起きた。家事をするのは妻だけじゃない、お母さんだけじゃない、女性だけじゃないんだと、日本中が知ることになった。2010年代は、そんなエポックメイキングな時代だったのだ。
でも、そんな風に「キッチンに仲良く並ぶ夫婦」の図が日本中に広まってくれたというのに、次に起こったのは、夫たちからの苦しげなうめき声だった。「家事をしたい気持ちはやまやまだけど、妻の要求レベルが高すぎてツラい……」なんて内容だ。
妻たちも文句タラタラだった。「料理するって言ったって、汚れたキッチンやダイニングの掃除は私なのよね……」「洗濯物を取り込むとは言っても、文字通り物干し竿から取り込んだだけで床の上に山盛りにして放置。それを仕分けして畳んで引き出しにきっちりしまうところまでしてくれたらなぁ……」「『俺はゴミ出しをしている』って言うけど、そのゴミを全部屋のゴミ箱から集めて、ゴミ箱一つ一つに新しい袋をセットして、ゴミをまとめて玄関に出しているのは私……」
妻の方も、「夫が家事をしてくれて感謝したい気持ちはやまやまだけど、完成度が低すぎてツラい……」ようなのだ。
この夫婦間の家事ギャップ。衛生観念や性格の違いだけではなくて、「どこまでがその家事か」という認識の違いも影響していそうだ。
たとえば、先ほどのゴミ出し。家事に慣れていない人はゴミ出しと聞いて、文字通りゴミを集積所に出しにいくことだけをすればいいと考える。でも家事の全容が見えている人なら「ゴミを出す前に、全室のゴミを集めてまとめ、ついでに各部屋のゴミ箱に新しい袋をセットして、それからゴミ出しに行く」という、一連の作業をスムーズにイメージし、体が自然と動く。
こういう、単体の家事に付随してのりしろのように存在する細かい作業のことを「見えない家事」とか「名もなき家事」なんて呼んで、少し前に大きな話題になった。家事に慣れた側から見ると「そこまでしなきゃ、家事をしたとは言えない」。でも家事に不慣れな側からすれば、「えっ、そんなのやれって言われてないし」と、思いもしないことまで押し付けられたように感じる。
でもこの「見えない家事」というのは、本当は経験値次第で解決する問題だ。何度も料理をしていれば、道具を片付けながら料理をした方が効率的で、あとがラクと気づく。洗濯物を取り込んだら床に放置せず、洗濯物がきれいなうちに畳んで片付けた方が、あとでまた埃やシワがついたりしなくて、結局自分がラクになるのだ。「どうせ家事をするなら、一度にここまで終わらせてしまった方が効率的」と学習しながら、誰だって家事の経験値や腕前を上げてきたはずなのだ。
家事クオリティも同様。「お皿を洗う時は、食べ物が接してなかったところだと思って裏を洗い残してはいけない」なんてのも、自分がお皿を洗い、次に使った時にベタベタの裏側にギョッとして「あ、ちゃんと裏も洗わなきゃいけないんだ」と知れば次から解決できることだ。
だから家事を任せる時は、相手は自分ではないのだから、まず期待値を下げる。自分と同じことを期待しないのがもっとも「みんなが幸せになる方法」。いつもの半分もできていたら優秀賞ってことで!例えば「今日は料理をお願い」なんて漠然としたオーダーじゃなくて、「今日は食材の買い物と料理と片付けまでパパにお願いね。食後の食器洗いは私と子どもでするから」なんて風に、明確に線引きをしてオーダーできると、相手も自分もスッキリする。
そして「家族育」にとって一番大切なこと、それは相手を尊重すること。尊重の証拠に、線引きした相手のエリアには手も口も出さずに、信頼をもって任せる。そしてどんな結果であっても、「してくれたこと」そのものに対してありがとうを言えると、「妻のキビしい一言で夫の心が折れる」なんてもったいない事態に陥ることもなく、お互いに気持ちよく次に繋がるのだ。
子どもに家事を教えるのも同様で、何ごとも経験、トライアンドエラー、失敗は成功の母。家事仕事の先行者には、自分のこれまでの成功体験から「思い描く家事像」がある。「このやり方で暮らしを回してきたのだから、これでいい」とか、「このレベルまでできていて初めて”終わり”」なんていう、揺るぎない家事イメージだけれど、これをはじめから押し付けると、本当のところ誰も得しない。自分が押し付けられた時のイヤーな気持ちを思えば、相手のイヤーな気持ちも想像できるんじゃないだろうか。
自分がしているのと同じ流儀、同じレベルでないとつい批判的になってしまう妻の心の中には、「私は普段、これだけやっているのよ」という自負やアピールも少しはあるような気がする。さらにその奥をのぞき込むと、たぶん「家事をするとはこうでなきゃ」という「自分縛り」とか、もう一段踏み込むと「お母さんなら、女性なら、これくらいできなくちゃ」のような「自分刷り込み」も見えてきそうだ。
それぞれを尊重し、それぞれの個性や良さを生かして協力し合える家族作りをするのなら、「こうでなきゃ」は全面的に要らない。「どうでもいい」と言うと語弊があるけれど、「どうあってもみんなで力を合わせれば対応できる」、そんなゆるさ柔らかさこそが家族のいいところで、醍醐味で、底力なんだと、私は思っている。
コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川県育ち。家族の転勤により桜蔭学園中高から大阪府立高へ転校。慶應義塾大学総合政策学部卒。欧州2カ国(スイス、英国ロンドン)での生活を経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどで執筆・出演多数。子どもは社会人になる長女、中学生の長男。著書に『女子の生き様は顔に出る』、『オタク中年女子のすすめ~#40女よ大志を抱け』(いずれもプレジデント社)。
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