国が違えば文化が異なり、文化が違えば習慣も異なります。だからこそ、日本メーカーが海外で食料品を販売するのは簡単なことではありません。
ハウス食品グループがタイでビタミン飲料『C-vitt(シービット)』の発売を始めたときも、何の確約もないまま道なき道を手探りで進むような出発でした。それから10年、「タイの人たちの健康に貢献したい」という想いで、いくつもの試行錯誤を積み重ねてきた『C-vitt』は、タイ国内ではどこでも買えるほどメジャーな商品になりました。
『C-vitt」は、いかにしてタイの国民的ドリンクとなったのか。マーケティングマネージャーである川村隆一さんにブランドの歩みや商品に対する信念、タイと日本における仕事の違いなどについてお話を聞きました。
ハウスオソサファフーズ社(タイ) 川村 隆一(かわむら りゅういち)
2009年ハウス食品入社。家庭用製品の営業として、東北6県を飛び回る日々を送る。2018年からハウス食品経営企画部にて中期計画の策定・推進に従事。自己研鑽として2020年~2022年に経営大学院に通い、MBAを取得。2023年4月からハウスオソサファフーズに出向し、コンシューマーマーケティング部のマネージャーとして、おもに『C-vitt』の広告宣伝を担当。その他新事業や新ブランドの立ち上げにも取り組み中。
――最初に、川村さんのお仕事について教えてください。どんな部署で、どのような業務を担当されているのでしょうか?
川村:現在は2011年7月に設立されたタイにあるハウスオソサファフーズという会社に所属していて、ビタミン飲料『C-vitt』のマーケティングに携わっています。私の他には社長である相馬さんと、タイ人のメンバーが15人ほどです。マーケティングの領域に加え、5年後、10年後を見据えた経営企画や、新規事業開発の業務も担当しています。
――タイに赴任されて何年目ですか?
川村:私は赴任して1年半になります。それまでは東北地方での営業活動や、東京本社での経営企画の仕事をしていました。
――そもそも川村さんは、どのような経緯でハウス食品に入社されたのでしょう?
川村:就職活動中に幅広い業界を受けましたが、食品や飲料関係の企業の面接では志望動機等を話しやすかったのを覚えています。私自身は食にうるさい方ではないのですが、人が集まってワイワイと食事を楽しんでいる空気感が好きでした。漠然とたくさんの人に影響を与えたいと考えており、幅広く商品を展開している会社への興味が増すなかで、ご縁があってハウス食品に内定をいただき、入社することになりました。
――入社後は、どのようなお仕事を担当されていましたか?
川村:最初は岩手県盛岡市にある東北支社の営業所に配属されました。北東北と呼ばれる青森、秋田、岩手の3県の担当ですね。スーパーマーケットやドラッグストアの本部に伺って商品の導入や販売促進のご提案をしたり、各店舗に伺って商品を並べるお手伝いをしながら追加発注をお願いしたりと、そういう営業活動を5年半していました。
そのあとは宮城県の仙台市にある支社に移り、今度は宮城、福島、山形の南東北3県を担当。そちらは3年半で、合計9年間を東北で過ごしました。社会人としての初任地ということもあり、とても思い入れのある土地になりました。冬の寒いのだけは最後まで慣れませんでしたが(笑)。
――その後は東京で経営大学院に通いながら、経営企画部で中期計画の策定や推進に従事されていたとのことですが、タイに出向することになったのはどのようなきっかけだったのでしょう。
川村:東京本社で経営企画の仕事をしているときに、経営大学院で学んだことを活かして会社に新規事業を提案したいと思い、社内の公募制度に手を挙げました。残念ながら自分のプレゼンは採用されず、落ち込んでいたのですが、その少し後のタイミングでタイへの異動という内示が出たんです。
――思い描いていたチャレンジは叶わなかったけれど、会社から新しいオファーがきたのですね。
川村:ハウス食品では、年に一度、自分がチャレンジしてみたいことを人事部門に申告する仕組みがあり、私は東北にいた20代の頃から「いつかは海外の仕事もしてみたい」というようなことを書いていたので、そのあたりを見ていてくれたのかもしれません。
ハウス食品グループのなかにはいろいろなカテゴリーがあって、私はずっとカレーの部門にいたので、ビタミン飲料を扱うタイの会社のことは遠い存在だと感じていました。しかし成長につながるありがたいチャンスをいただいたと思い、タイに行くことを決断しました。
――海外赴任は初めてとのことですが、タイでの暮らしはいかがですか?
川村:私が住んでいるのは会社から近く、日本食も食べられるエリアなので非常に便利ですね。暑さが厳しかったり、渋滞が激しかったり、食べ物が辛すぎたりと大変さもありますが、そういうこともひっくるめて新しい経験として楽しんでいます。
――現地スタッフの方と仕事を進める上で、コミュニケーションや文化の違いに苦労することはありますか?
川村:やはり最初は言葉の壁に苦労しました。特に地名や商品名といった固有名詞はほとんどわからず、会議ではついていくのがやっとでした。ただ、メンバーが皆すごく優秀で前向きに仕事に取り組んでくれているので、とても助けられています。
――働き方の部分で、日本とタイで違いを感じるところがあれば教えてください。
川村:タイの人のほうが南国気質というか、自由なスタイルで働いている感覚はありますね。よく言われることなんですけれど、タイの人は四六時中何か食べながら仕事をしています(笑)。
あと、これは良し悪しだとは思いますが、日本に比べると過去の事例検証や中長期的な未来予測よりも、クイックな判断と実行を重視するところがあるかもしれません。メンバーが立ててくれた計画に対して、日本の専門部署と懸念点を洗い出しながら熟慮することがありますが、「それはあまり気にしなくていいと思います。早く承認してほしいです」といったことはたまに言われますね。
川村:だからといって、タイの人たちがせっかちというわけではなくて、食事の時間はすごく大切にしています。どんなに忙しくても、お昼はちゃんと食べて休んで、基本的には残業はせず、終業時間になるとみんなで一緒に帰り、プライベートの時間も大切にしています。
――一緒に働くようになってからの1年半で、スタッフの方々との距離が近づいている感覚はありますか?
川村:そうですね。基本的にはみんな温かくて、「ご飯食べた?」とか「連休はどこか行ったの?」という感じで、他愛のない会話をしながら仲良くさせてもらっています。
会社の明るい雰囲気については、私よりも2年半ほど早く着任された社長の相馬さんによるところが大きいと思っています。日本とは質の異なるマネジメントが求められる環境で、締めるところと緩めるところのバランスを取りながら、会社を経営するのは大変なはずです。だけど相馬さんは日頃からメンバー一人ひとりとフレンドリーな関係を築きながら、問題が起きれば真摯に話を聞き、辛抱強く向き合う、といったことを全部やられていて。だからこそ、スタッフからの信頼も厚いし、みんなから尊敬されています。私も見習うことばかりですね。
――川村さんたちが製造・販売をされている『C-vitt』とは、どのような商品なのでしょうか?
川村:「ビタミンCを手軽にたっぷり摂ることができる」というのがコアコンセプトの飲料で、瓶タイプが主力商品です。ハウスウェルネスフーズの商品で『C1000』というドリンクがあって、それをタイでも販売してみようというチャレンジから誕生しました。2010年代初頭のタイには、同じような商品はなかったんです。
――今までになかったタイプの商品を売るというのは、かなり大変なことですよね。
川村:そうですね。『C-vitt』の発売開始は2012年で、私はまだタイに赴任していなかったのですが、とにかく知ってもらうために力を尽くしたというふうには聞いています。最初はCMを制作して、そこに出演してくださった俳優さんが日本でいう朝ドラのような番組で人気が出て、それが商品認知拡大の追い風になったそうです。ビタミンCが豊富に含まれているということで、最初は女性を中心に興味を持ってもらえたという話も聞きました。
その後、街の人たちに試飲してもらうサンプリングなど地道な宣伝活動を続け、コンビニエンスストアやスーパーマーケットだけでなく、地方を中心に40万店以上あると言われるトラディショナルトレードやパパママショップと呼ばれる小さなお店にも並ぶようになりました。これがかなり大きな変化点で、新しく工場に製造ラインを増やして、今では都市や郊外問わずタイ国内の多くの場所で買える商品になっています。
――お客様からの反応としては、どのような声が多いですか?
川村:発売当初はビタミンCが摂れる飲み物であったり、透明な瓶に入っていることが珍しがられたようですが、全体としては「おいしくて健康にも良さそう」という好意的な受け止められ方だったようですね。今はかなり生活に溶け込んでいて、「いつも飲んでるよ」とか「こんなときに飲むといいよね」と言ってもらえる商品になりました。
――2024年8月に行われたイベントにはショッピングモール内に1000人以上の観客が集まったとのことですが、発売から10年ちょっとで国民的な飲み物になるってすごいことですね。
川村:まずは関係者の方々の努力の成果と言えるだろうと思います。パートナーであるオソサファ社やタイの代理店各社もそうですし、日本からも研究開発、法務、調査、人事部門等、様々な部署からの多大なサポートがあり、それがブランドの成長を支えてきたのだと思います。
また、時代の流れにうまくフィットしたことも大きな要因だと思います。コロナ禍を経て、タイの人たちの健康意識が高まったことも商品にとっては大きなターニングポイントでした。
川村:そして、2024年の今年、『C-vitt』は新たな転換期を迎えています。これまでタイのルールでは、飲料に入れられるビタミンCは120mgまでと決まっていたのですが、今年の夏からは1000mgまで配合できるようになりました。それに伴って『C-vitt』も1000mg配合となり、より多くのビタミンCを届けられるようになっています。
――120mgから1000mgというのは、大きなアップデートですね。
川村:そうですね。タイ全体で健康意識が高まるなかで、政府もグローバルな基準に合わせた規制の見直しを始めています。ビタミンCが増えると酸っぱくなるようなイメージがあるかもしれませんが、今回のリニューアルではすでに親しまれているおいしさはそのままでビタミン量を増やすことができました。値段も変えていないので、より多くの方の手に届き、健康に貢献できる商品になっていけばいいなと思っています。
――日本にいた頃とは環境も仕事内容も異なる1年半を過ごしてみて、ご自身の変化として感じていることはありますか?
川村:まったく新しい環境に身を置いてみて、多少のことでは動じなくなったかなと思います(笑)。個人的な感覚ですが、タイでは小さいことは気にせずにやっていこうという空気感があるので、そういう気持ちの変化はありますね。私の好きなタイの言葉に「マイペンライ」というのがあって、「大丈夫だよ」とか「問題ないよ」という意味の言葉なんですけれど、社内でもスタッフ同士で言い合うし、何かあると自分に言い聞かせたりもしています。そういう前向きなマインドセットも、タイに来て学んだことのひとつですね。
――タイという国に対する意識の変化があれば教えてください。
川村:駐在員としての使命感といいますか、「タイの人たちの幸せに少しでも役に立ちたい」という思いは赴任当時から持っています。実際に来てからは、貧富の差や、それに伴う健康状態の差を感じることも多く、そういった課題を解決したいと思うようになりました。
ハウスオソサファフーズは「タイの人たちの心と体の健康に貢献する」というビジョンを掲げているので、C-vittブランドや自分の仕事に対して、そういう気持ちは常にあります。災害時の支援や子どもたちへの寄付といった社会貢献の活動を通して、「タイの人たちのために仕事をする」という意識はより強くなりました。
――ちょっとお聞きしづらいのですが、日本で仕事をしていたときも「日本の人のため」という意識はありましたか?
川村:「日本のため」とまでは思っていませんでしたが、「自分たちの商品を買ってくれるお客様のため」という意識はありましたね。
――「誰かのために」という意識は、ずっと変わらない川村さんのモチベーションなんですね。
川村:そうですね。岩手県に赴任していたときに経験した東日本大震災の影響も大きいように思います。自社製品やメニューの提案が「東北地方の復興にもつながる」と考えることは、営業活動のモチベーションになっていました。経営企画部では現場から離れていましたが、ハウス食品グループの掲げる「3つの責任(お客様、社員とその家族、社会)」の意味や位置付けを考えることが多かったので、会社としての存在意義や働くことに対する目的意識は、そこで身についたように思います。
――今後、『C-vitt』はどんな商品になっていってほしいと思われていますか?
川村:『C-vitt』はタイの機能性飲料カテゴリーにおけるリーディングブランドになりましたが、今後もさらに成長できると思っています。朝起きたとき、おやつ休憩に、もうひと頑張りしたいときに、など、いろいろな場面で飲んでもらえるような提案をしていきたいです。
これからも『C-vitt』を通してタイの人たちの健康に貢献し、笑顔の輪を広げていくとともに、日本とタイの架け橋になりたいと思ってます。その先にはタイのみならず、東南アジア全体を盛り上げ、ハウス食品グループにおける海外事業の成功例にしていきたいですね。
――川村さんのお話を伺っていると、会社や社会に貢献したい気持ちが強い方なんだなと感じます。これまでの経験を振り返ってみて、ハウス食品に入って良かったと思われますか?
川村:そうですね、入社して良かったと思っています。ハウス食品グループは取り扱う商品のカテゴリーも、展開エリアも広いので、自分次第でいろいろなことができる会社です。私もチャンスをもらっているので、積極的なチャレンジによって食文化を育んできた歴史を引き継いでいけたらなと思っています。
東南アジア全体を盛り上げるためには、同じくグループ会社であるハウス食品グループアジアパシフィック社の協力も欠かせないと川村さんは言います。ハウス食品グループアジアパシフィック社は、ハウスオソサファフーズの隣にあり、川村さんたちと共に、東南アジア全体の戦略を描き、特にベトナムやフィリピン向けの事業を開発している仲間だそうです。
タイへの赴任という大きな挑戦を通じて、現地での多くの経験や学びを得た川村さん。
その経験は、川村さんご自身の成長だけでなく、ハウス食品グループ全体の未来に向けた大きな一歩となっています。
取材日:2024年9月
内容、所属等は取材時のものです
文:阿部光平
写真:松井聡美・西山浩平
編集:株式会社アーク・コミュニケーションズ