家族のいる私たちは知っている。あれこれ巡って疲れた時、結局私たちが求めホッとたどり着く料理は、どうしていつもあの懐かしい食卓の味になるのか。それは、食べるという行為の本質が、「何を食べるか」以上に、「誰と食べるか」にあるからだ。
家族の味は、甘くて辛くて酸っぱくて、ときどき苦い。教育・家族問題から時事、カルチャーまで、時に鋭く時に優しい切り口で人気のコラムニスト・河崎環が論じる、今日の家族の味はどんな味?
おうちって、家族って、暮らすって楽しい。
皆さんはおうちの家事を、楽しんでますか。
そういえば家事って、どこからどこまでを言うんだろう。
たとえば「食器洗い」。
うーん、キッチンシンクに山積みになっている、コップやお皿やお箸やタッパーを隅々まできれいに洗って、今度は水切りかごの中に山積みにしたら「任務完了」、かな?
でも、すぐには乾ききらないお皿を拭くのは? お皿を食器棚に収めるのは? 油汚れや食べかすで散らかったシンクを洗い、排水口やゴミ受けをきれいにして、三角コーナーのビニールの口を縛って捨て、ついでに三角コーナーの網の目まで掃除しておくのは?
そもそも、楽しい食事後に食卓の上から家族みんなの使った食器を引きあげてくるのは? 残った食べ物を保存容器に移して、冷蔵庫に収めるのは? キッチンシンクにただ積み上げるのではなくて、洗う順番をなんとなく考え、木製のお椀やお箸と陶器のお皿をなんとなく分別するのは? 油汚れでギトギトになってしまった大皿や鍋を予洗いしておくのは? おっと、食器を洗い始める前に水切りかごの中に残っていたお皿を拭いて棚に戻して、スペースを空けておくのは、誰がしておいてくれるの?
ひとたび考え始めたら、きりがなくてびっくりだ。こういう、私たちが「家事だ」と思っていることの周辺にある細かな、だけど絶対必要な、そして今まで誰もそれを「家事だ!」なんて意識していなかった作業のことを「名もなき家事」というらしい。
「名もなき家事」というネーミングは、これまで誰も仕事だとか労働だなんて思っていなかった、気のつく優しい誰かが黙って手を動かしてくれていた細かい作業を可視化したのだ。
ひとことで家事と言っても、家事なんて無限にある。本当の意味の家事は、もしかして24時間365日終わらないのかもしれない。
そうか、暮らすということは、家事が生まれるということなんだな。そしてそれを「完璧にする!」なんて、きっとむやみに意気込まないほうがいい。自分のためにも、家族のためにも。だって家事は誰かひとり、たとえばお母さんだけのものでもないしお父さんだけのものでもない、暮らす家族みんなのものだから。
日本でも、共働き世帯の数は専業主婦世帯の数を上回ったそうだ。家族の形が変わる。家事が変わる。
新しい時代に入ってそうやって可視化された家事は、これまでみたいに誰かに任せっきりにするのはちょっと心苦しいなと素直に思えるくらいのボリュームで、それを発見できたのは私たちにとってグッドニュースだった。だからなのだろう、家族みんなで家事をする、そんな楽しい家族を日本に育てようよ、っていうすごく前向きな潮流が出てきたように思う。
みんなで家事をする、そんな風に家庭の中をデザインできたら素敵なんじゃないか。
家事は優しさでできている、と思うことがある。よく、誰かにプレゼントをあげるときって、「何を買うか」よりもその人のためにその人のことを思いながら選ぶこと自体に意味があるよね、って言う人がいる。家事も同じだ。
たとえば洗いあがってバラバラになった靴下の色を見定めてマッチさせ、一足ずつまとめるとき。それを履いたときにカッコ悪くないように、履く人ががっかりしないように、靴下のシルエットを平らに整えて、ちゃんときれいな線が入るように揃えて、さて口ゴムのところは2つまとめてクルッと裏返すか、どうするか?
ちょっと考えて、「あの子、この靴下がとってもお気に入りだから、口ゴムが伸びて緩んだらかわいそうだな。伸ばさないように、畳むだけでまとめてあげよう」なんて畳み直したりしませんか。
それは、あなたから家族への「優しい想い」だ。そんな優しさを、思いやりを、家族で一緒に家事をしながら、「靴下の畳み方」に添えて伝えるのだ。「お気に入りの靴下のゴムが伸びちゃったら、かわいそうだもんね」って。
家事は単なる「労働」や無味乾燥な「作業」以上のものなんだ、って知っている家族はきっと豊かだ。
もし、ちょっと余裕のある日があったら、そんな風に家族の誰かと会話をしながら家事をできるとすごく素敵だ。
休日の夕方、ねぇ今日はシチューにしよう、と声をかけて、みんながわらわらとキッチンに集まってくる。玉ねぎと人参とジャガイモを出して、洗う人、皮をむく人、包丁で切る人。シチューのルーの箱を裏返してつくり方をみんなに教える人、鍋を火にかける人、鶏肉に焼き色をつける人、水を用意する人、茹で加減を見る人、などなど。
みんなで手を動かしながら、「あ、この子、こんなことができるようになったんだ」って気づいたり、「最近どう」なんて話を振ったり。「僕さ、この間給食でシチュー食べたばかりなんだよね」「あっ、そうだっけ、ごめん」「えー、でもシチューなら毎日食べても大歓迎じゃない?」「確かに! パンじゃなくてご飯で食べても美味しいよ」なんて、そんなたわいもない話をしながら、お互いが”ちゃんと順調”なのを感じとったり。
心が豊かな家族は、お互いにそっと優しさや思いやりを伝えるすべを知っている。繰り返してしまうけれど、だから家事は単なる「労働」や無味乾燥な「作業」以上の、もっと素敵なものなんだ。
コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川県育ち。家族の転勤により桜蔭学園中高から大阪府立高へ転校。慶應義塾大学総合政策学部卒。欧州2カ国(スイス、英国ロンドン)での生活を経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどで執筆・出演多数。子どもは社会人になる長女、中学生の長男。著書に『女子の生き様は顔に出る』、『オタク中年女子のすすめ~#40女よ大志を抱け』(いずれもプレジデント社)。
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