「フードバンク」をご存じですか。直訳するなら「食べ物の銀行」。賞味期限内であるにもかかわらず一般市場に流通できない食品などを集め、それを必要とする人へ配布を行う社会貢献活動のことです。
今回は、約20年にわたり日本国内でフードバンク活動を続けるセカンドハーベスト・ジャパン(以下、2HJ)のCEOマクジルトン・チャールズさんに、その活動の内容や背景について伺いました。
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マクジルトン・チャールズ(Charles E. McJilton)さん
セカンドハーベスト・ジャパン(2HJ)CEO。1963年生まれ、アメリカ・ミネソタ州出身。1984年に海軍勤務で来日し2年間駐留。1991年、上智大学で修道士を目指すために再来日。この頃から山谷(東京都台東区)での炊き出しに従事。1997年1月から1998年4月まで隅田川沿いでホームレス生活を体験。2002年にNPO(特定非営利活動法人)に認定された日本初のフードバンク組織を設立(現在の2HJ)。
日本で本来食べられるにもかかわらず企業や家庭から捨てられている食料、いわゆる「食品ロス」の年間総量は、約643万トン(平成28年度推計 ※農林水産省・環境省)。これは国連世界食糧計画(WFP)による食糧援助量(約380万トン、平成29年)の1.7倍。年間1人当たりの食品ロス量は51kgで、コメの消費量(約54kg)にも相当し、毎日大型(10トン)トラック約1760台分を廃棄している計算になります。それほどの食料が、届くべき人や地域へ届かずにただ捨てられていることを、私たちの多くは知りません。
一方、日本は先進国にもかかわらず、約2000万人の人が貧困線(統計上、生活に必要な物を購入できる最低限の収入の指標。それ以下の収入では、一家の生活が支えられないことを意味します)以下で暮らしています。これは、日本社会全体で見ると、実に7人に1人の割合にのぼります。
企業などから賞味期限内であるにもかかわらず様々な理由で一般市場に流通できない食品の提供を受け、それを必要とする方へ配布を行っているフードバンクは、いのちを支える「食べ物の銀行」なのです。
フードバンク2HJは、「Food for All People(すべての人に、食べ物を。)」をモットーに掲げ、食品メーカーや大手スーパーなどの企業から、様々な理由で市場に流通できなくなったものの、本当はまだ十分安全に食べられる食品を引き取り、子どもたちや路上生活者に届ける活動を行っているNPO(特定非営利活動法人)。2000年に活動を開始し、2002年には法人化して本格的に活動をはじめました。
創設者でCEOのマクジルトン・チャールズさんは、キリスト教の修道士になることを考えていた頃、心の声にしたがって体験した15ヶ月間にわたる隅田川沿いのホームレス生活を通し、「食の支援とはどうあるべきか」を考え続けたアメリカ人です。
「誰もがお腹いっぱいになって夜眠れたら、どんなにうれしいことか。それは、私たちがその一員であることを誇りに思える社会です。私はそんな未来が来ることを信じています」と、チャールズさんは穏やかな口調で語ります。
「この2HJは、まだ食べられる食品を、食べ物を必要としている人へ渡すというシンプルな考え方で、当事者(食べ物を必要とする人たち)とは対等な関係で運営しています。みんなが安心して暮らせる社会のインフラ、食のライフラインを強化するための、はじめの一歩なんです」(チャールズさん)
食品メーカーや流通などの企業から寄贈された食品は、2HJのボランティアや協力ドライバーによって関東各地の福祉施設や児童養護施設の子どもたち、DV被害者のためのシェルター、路上生活を強いられている人たちなどのもとへ配送されます。また、東京・浅草橋にある「ハーベストパントリー」では経済的困窮により十分な食事をとれない個人へ直接食料品を提供しています。
さらに関東近郊にある約20ヶ所の食品ピックアップ拠点(浅草橋のパントリーを含む)へ直接取りに来てもらう、あるいは路上生活者を対象とした炊き出し・食品配布活動など、様々な形で必要な人の手に行き渡るよう、工夫されています。
2017年には、子どもたちへの食事の提供と学習の支援を無料で行う「Kids Café(キッズカフェ)」も開設されました。
「私たちは常に『食べ物を運んでくれる人』をたくさん必要としていますし、ピックアップ拠点を増やす努力をしています」と、チャールズさんは話します。「あなたのフードバンクはここですよ、と、日本の交番と同じようにいつでも自由に自分の食べ物にアクセスできる場所を、社会資産として整備したい。これは人の手を通してみんなのお腹が満たされる社会づくり、セーフティーネットなのです」。
「2011年の震災後、日本社会の意識が変わりました」とチャールズさんは指摘します。活動開始以来、それまではまだ大きな倉庫もなく、ボランティアもチャリティー活動の進んだ海外の出身者が多い小さな組織だった2HJに、日本人の協力者、しかも若い人がどんどん増えたのだそうです。
企業などの食品提供者と配布先のコーディネートをするフードバンク事業には、新卒の若い人も入ってくるほどになりました。やがて様々なメディアでも取り上げられ、社会の認知度と関心が上がり、現在は1週間あたり約120人ものボランティアが参加、協力企業は約1600社にものぼります。
ハウス食品グループもこの活動に賛同し、2016年から2HJに、カレー、シチュー、レトルト食品、スナック菓子、飲料などの寄贈を開始しました。それらの食べ物は、2HJのスタッフやボランティアに支えられたネットワークを通じて、生活に困っているご家庭や、母子生活支援施設、児童養護施設へ配送されたりします。
「企業にとって、フードバンクへの協力は決して簡単なことではありません」と、チャールズさんは説明します。「企業が食品を廃棄するのにもコストがかかりますが、実はその方が簡単なのです。わざわざ寄付・提供するのは、企業にとって大きなリスクが生じる側面もあります」。
もし提供した食品が転売されたり、一度でも事故が起きたりすれば、企業のブランドイメージを傷つけてしまいかねません。そういったリスクを管理するために、2HJは取り扱う食品のすべてについてQRコードを用いた綿密な商品管理体制を取り、さらに食品についての問い合わせなどは各メーカーではなく2HJが一元的に受け、責任を持っています。
「企業と私たちは対等な関係。それに納得してもらえる企業と長期的なパートナーシップを築きたいと考えています。そのため、同意書を交わすまでに5年もかかったこともありました。でも、ステークホルダー同士、お互いに信頼し、権利と義務と責任に対しての尊重があるからこそ、私たち2HJも当事者の手に渡る最後まで食品に責任を取るのです」(チャールズさん)
チャールズさんは、活動を続ける中で最近気づいたことがあるそうです。
「食品を届ける母子家庭支援をしていると、お母さんたちから『子どもが静かになる』という感想を聞くことがあります。それは、配布された食品を調理しながら、お母さんが子どもと自然に会話をしているからなのです。経済的に困窮すると食事もままならなくなり、子どもとのコミュニケーションも少なくなっていく。調理することで、お弁当を与えて終わりではなく、キッチンや食卓での会話を取り戻すのですね。この活動はただモノを提供しているだけではない、コミュニケーションのツールも提供しているんだと気づいたんです」
2HJは、何をもらうかではなく、一緒に何ができるかを考える団体なのだとチャールズさんは語ります。誰が上で誰が下ではない、同じ社会にいるみんなでもっともっと大きな創造「フード・セーフティーネット」を実現したいのだと。
そのためには「まず浅草橋の2HJを実際に見てほしい。ひとは、見たことも経験したこともないセーフティーネットは想像しにくいからです。そして興味を持ってもらえたらぜひボランティアに参加してほしい」とのこと。「そうでなくても、政治家に直接ハガキを出して、我が国のために一緒にフード・セーフティーネットを作りましょうと書くだけでもいいです。その意識があれば、国民はこれを必要としていると知らせることができるでしょう」。
浅草橋のパントリーには、柱や壁一面、これまでのボランティア参加者やスポンサー企業の名前が手書きで色とりどりに書き込まれていました。「この壁は、みんなの思いがこもった宝物ですね」との取材班の言葉に、微笑んで無言で頷くチャールズさん。
「全員のお腹が満たされていること」。それは社会として決してゼロにならない。ぎっしりと書き込まれた人々の名前一つ一つが、そう語っているのが聞こえるような、不思議なにぎわいと優しさに満ちた部屋でした。
循環型モデルの構築、そして健康長寿社会の実現に向けて取り組みを行っています。
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